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KIYOSATO SKETCH BOOK
        
学生時代とサラリーマン生活の披露・紹介
15歳まで勉強した記憶ありませんが、極、普通のおとなしい子が、中学卒業後大変身。母一人子一人なのに親不幸連続。
煙草も吸わず(今でも)酒も二十歳まで無縁。警察のお世話になる事(逆にその頃珍しく、山の中ではあったが警察官殿のお手伝いもしてました)は無かっただけで、色んな無茶をやりまいた。山、抜きでは語れない青春。無口で物静かな少年は山で変わった。山がペンションの原点で、『山』で培われた何事にも積極的な性格に変貌。そして異色の存在だったサラリーマン生活で磨きをかけペンション開業にいたる道に
 この世に生まれたときから、波乱万丈の人生模様。
一応、大学に入って一年後頃より、サラリーマン終止符の自己紹介。

誰もこんな事(ホームページでの露出)しませんよね。
でもある外車の正規代理店の社長の露出度に較べれば可愛い物と思い披露します。 

                                     
サラリーマン時代最終章 サラリーマン時代
この頃月に200時間以上の時間労働をこなしてました。いつも残業の鬼だったわけではありません。問題山積みの部署に回され、私、部下に言いました。『君らよくノイローゼにならないな』と呆れ果て、一年かかりましたが、極めて困難な仕事内容の我小隊を、残業ゼロにして、人減らしも敢行したこともあります。かと思えば、労働組合活動で組合分裂の危機を憂えて、急先鋒化させすぎ、危うく解雇されそうになるまで、駆け回っていることもありました。他社に転進の話も多数。サラリーマン時代はかなり激しい波にもまれていたようです。と言うよりも、自らしてしまったのでしょうか?

サラリーマン時代最終章 この時の2年前、本社勤務危うく首になる寸前に、T部長に救われました。
「今度プロジェクトチーム組む事になった。お前、来ないか?」私即座に「お願いします」と答えた後、間髪をいれず、T部長のお言葉「お前みたいな『じゃじゃ馬』この会社で飼いならせるのは、わし一人じゃ」のパンチ。たえずトラブルメーカーの問題社員だった私として、そこまで言われると黙っている訳にいかず、即言い返し(?)ました。「はいそうです。私もそう思います。」
部長、私が余計な発言をするのを期待されてたのでしょうか?拍子抜けした様に「よっしゃ、着いて来い、お前がプロジェクトの第一号だ」
良い仕事させて頂きました。深夜に及ぶ残業続き、全く気にもなりませんでした。プロジェクトの目標100%完遂。でも本社の都合で、プレジェクト解散。
(自分のような半端な人間、この会社では勤まらない、勉強しよう。目標を達成していたので、大方残業ゼロ))
睡眠時間3,4時間に削り勉強していました。72sあった体重半年で16kg減。しかし無理がたたって、目に異常が出て、ドクターストップ

最後の青春 私と後の家内
独身時代、入社後三ヶ月半、お盆休み、北アルプス涸沢からザイテングラードを登り、懐かしの奥穂の小屋から槍に縦走、槍沢を下り上高地へ。下から叔母さんと妹を連れ登ってきた彼女(我同士後の家内)と河童橋で、待ち合わせ。連れの二人に紹介をしてもらいました。この写真、私、ひげ面で気にくわないのですが。待ち合わせ場所つり橋の上、青春やってました。

フレッシュマン 社会人一年生
入社試験の面接の折、私かなり暴言をはいたようです。後日談ですが、間接的に面接の暴言を聞かれ『面白い奴だ、たまには毒を入れろ』と採用決められた社長、かなり懐の深い人。入社早々、残業・残業・休日出勤の連続。労働組合加入渋っていた私、入社丸二年でいきなり、書記長・委員長代行。仕事も忙しい上に、同僚に直前まで一切、気付かれぬ事無く、挙式・披露宴の準備。ハードだった様でが、『ボッカで鍛えたこの体』軽く乗り越え丸三年。東京へ転勤。夜間講座に数ヶ月通い、やりました勉強。一挙にサラリーマン人生感、大変化。

威張ってる私先頭 秋の中央アルプス空木小屋下付近で撮った写真。
東京の某山岳会のメンバーと撮りました。私は山岳会からみれば部外者。それなのに一番威張っている、あとで某山会内部で、問題になった写真だそうです。
この二ヶ月前、いわゆる発展的解消というやつですか、その後なので、すっきりした顔ですね。
この4ヶ月前、「君ら、哲学科の5回生、まともな就職あると思っているのか」と大学の就職課の職員に罵声を浴びされたにもかかわらず、一社だけの入社試験で、就職きめ、同級生から『お前みたいに好き勝手な事してた奴が、さっさっと就職決めるとは何事だ』と、ブーイングの嵐にさらされました。

地球が丸く見える犬吠埼 出逢って一週間(左私、右後の家内)
出逢ってから一週間後、友人達と四人で東京から犬吠埼に暖房もない車で、深夜のドライブ。朝陽を浴びて清ましてます。この夜行日帰りのドライブ小旅行がなければ???
学園紛争の嵐のドサクサに紛れ、「優」を取り捲り、就職を一回で決め余裕の最後の学園生活の合間の安らかなひと時。

5月の立山 五月の立山
残雪なんてものではありません。積雪10m近いのでは? あの日あの所で、この写真,誰がシャッター切ってくれたのかな???
大学4回生卒業にはほど遠く。
どこの大学も学園紛争の嵐。そんな嵐に眼もくれず、気分転換を思い、数々の山に登っていました。

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乗越で 右私、左友人、あの年8月18日の写真かも。
かなり辛酸をなめ鍛えられました。私の人生で決して忘れる事の出来ない一枚の写真。これを契機に人生観180度転換。どんな事も跳ね除ける強靭な精神を持つことになった(?)、時です。有名な山男氏と二人の山岳警備隊の名うての警察官殿との出会いがなければ、これを契機におおいに、グレていたでしょう。
ゲバ棒振り回し、火炎瓶をも投げてたかもしれず。御三名の山男殿に感謝。

あの山小屋の前で 綺麗なお姉さんと。
私吸えもしないタバコ持ち、キザなポーズ。兎に角綺麗なお姉さんでした。誤解を招く写真ですが、この方とはただの友人です。私の危険な兆候(新宿のヒッピーの仲間入り)を察し、厳しく諌めてくれました。
Y.Nさん私を覚えてくれてるのでしょうか?偶然にでもこの写真見かけたら、連絡下さい。

診療所の屋根 厚生省の小屋の屋根の上
山小屋を持ちたいと夢。それは学生崩れの空想だった。5月のある日、雪の頂上から遺体掘り起こし。小屋主の止めるのも聞かず、50kgの体重で60kg超のボッカを毎日こなし。ひだりのIさん、K大の医学部のHさんの遭難死の入電。思い切り泣いてましたね。「ヨッシャ、俺が行かねば!」又小屋主の止めるのを聞かず、山岳隊2警察官殿と懸命に雪渓を駆け登った。兎に角捻くれてました。

H小屋の前雪渓の上 一番右私
真ん中の小屋主のお嬢さん、あまりにも若い急逝。抜けるような白い肌。美人薄命。
この後から、大学休学への道のりは簡単だった。

八ヶ岳山頂 八ヶ岳山頂5月末
この山小屋の十数日。神様貴方の悪戯は酷過ぎます。こんな事で自分の人生変えられないと、心の中で叫びながら、山を駆け下り、ボッカの荷物担ぎ駆け登る。しかし大きく人生斜め90度転換。この頃から大学不登校の始まりだった様子。
 
 
      
      
学生時代の私、一時期、山小屋を持ちたいとの空想をしていました。
山小屋を新規に開業するのは想像が出来ぬほど、困難であることを思い知らされました。
学園紛争のドサクサに紛れ、口先三寸の面接を乗り切り、それなりの会社に潜り込みました。
オイルショックの煽りで、たった一人の東京勤務。暇をもてあまし勉強三昧。
一応、中小企業診断士目指し読書・読書。
件のT部長に言ってしまいました。
「部長、うちの会社危ないですよ」
『何でや?」
私チョットだけ勉強をした知恵で、またまた悪態をついたようです。
「そこまで判ってるのなら、何も言うな。だまっとれ」
テレビで見てしまったのです。「ペンション」との言葉。
「定年退職したら、やってみよう」
私の様なトラブルメーカーが定年まで務まるわけがありませんでした。
某課長の一言で切れてしまい、相当好き勝手やったようです。
T部長、私の危険な行動を察知し「お前、A電気にいけ。お前みたいなのこの会社にいらん」
『私の様なもの、大会社A電気では勤まりません」
丁寧に断りました。
その後随分経ってからまたもやT部長
「お前、警察官になってたら良い警察官になったやろな。それも公安や、公安の警察官や。調べて調べて追い詰める。外堀埋めて、内堀埋めて、じわじわ追い詰めて、具の音も出ないようにして、最後に逮捕や」
「私が警察官ですか???」
最後のT部長のお言葉。
「お前、ペンションやれ。お前にピッタシや。わし、財務、見てやるから安心しろ」
「私もピッタシだと思います」

私にとってペンションは天職である兆しが学生時代に既にあったようです。
サラリーマン時代にそこそこ勉強をし、ここでも波乱万丈、千変万化、丁々発止の人生を送る中で、少しづつペンション開業への軌道に修正されていました。

私の色に染まった、相当好き勝手なペンションにしてしまったようですが、かなりペンションライフを楽しましてもらってます。皆様のお陰で。

ありがとうございます。
これからも、頑張りますよ!!!!
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