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サラリーマン時代
この頃月に200時間以上の時間労働をこなしてました。いつも残業の鬼だったわけではありません。問題山積みの部署に回され、私、部下に言いました。『君らよくノイローゼにならないな』と呆れ果て、一年かかりましたが、極めて困難な仕事内容の我小隊を、残業ゼロにして、人減らしも敢行したこともあります。かと思えば、労働組合活動で組合分裂の危機を憂えて、急先鋒化させすぎ、危うく解雇されそうになるまで、駆け回っていることもありました。他社に転進の話も多数。サラリーマン時代はかなり激しい波にもまれていたようです。と言うよりも、自らしてしまったのでしょうか? |
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この時の2年前、本社勤務危うく首になる寸前に、T部長に救われました。
「今度プロジェクトチーム組む事になった。お前、来ないか?」私即座に「お願いします」と答えた後、間髪をいれず、T部長のお言葉「お前みたいな『じゃじゃ馬』この会社で飼いならせるのは、わし一人じゃ」のパンチ。たえずトラブルメーカーの問題社員だった私として、そこまで言われると黙っている訳にいかず、即言い返し(?)ました。「はいそうです。私もそう思います。」
部長、私が余計な発言をするのを期待されてたのでしょうか?拍子抜けした様に「よっしゃ、着いて来い、お前がプロジェクトの第一号だ」
良い仕事させて頂きました。深夜に及ぶ残業続き、全く気にもなりませんでした。プロジェクトの目標100%完遂。でも本社の都合で、プレジェクト解散。
(自分のような半端な人間、この会社では勤まらない、勉強しよう。目標を達成していたので、大方残業ゼロ))
睡眠時間3,4時間に削り勉強していました。72sあった体重半年で16kg減。しかし無理がたたって、目に異常が出て、ドクターストップ。 |
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私と後の家内
独身時代、入社後三ヶ月半、お盆休み、北アルプス涸沢からザイテングラードを登り、懐かしの奥穂の小屋から槍に縦走、槍沢を下り上高地へ。下から叔母さんと妹を連れ登ってきた彼女(我同士後の家内)と河童橋で、待ち合わせ。連れの二人に紹介をしてもらいました。この写真、私、ひげ面で気にくわないのですが。待ち合わせ場所つり橋の上、青春やってました。 |
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社会人一年生
入社試験の面接の折、私かなり暴言をはいたようです。後日談ですが、間接的に面接の暴言を聞かれ『面白い奴だ、たまには毒を入れろ』と採用決められた社長、かなり懐の深い人。入社早々、残業・残業・休日出勤の連続。労働組合加入渋っていた私、入社丸二年でいきなり、書記長・委員長代行。仕事も忙しい上に、同僚に直前まで一切、気付かれぬ事無く、挙式・披露宴の準備。ハードだった様でが、『ボッカで鍛えたこの体』軽く乗り越え丸三年。東京へ転勤。夜間講座に数ヶ月通い、やりました勉強。一挙にサラリーマン人生感、大変化。 |
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秋の中央アルプス空木小屋下付近で撮った写真。
東京の某山岳会のメンバーと撮りました。私は山岳会からみれば部外者。それなのに一番威張っている、あとで某山会内部で、問題になった写真だそうです。
この二ヶ月前、いわゆる発展的解消というやつですか、その後なので、すっきりした顔ですね。
この4ヶ月前、「君ら、哲学科の5回生、まともな就職あると思っているのか」と大学の就職課の職員に罵声を浴びされたにもかかわらず、一社だけの入社試験で、就職きめ、同級生から『お前みたいに好き勝手な事してた奴が、さっさっと就職決めるとは何事だ』と、ブーイングの嵐にさらされました。 |
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出逢って一週間(左私、右後の家内)
出逢ってから一週間後、友人達と四人で東京から犬吠埼に暖房もない車で、深夜のドライブ。朝陽を浴びて清ましてます。この夜行日帰りのドライブ小旅行がなければ???
学園紛争の嵐のドサクサに紛れ、「優」を取り捲り、就職を一回で決め余裕の最後の学園生活の合間の安らかなひと時。 |
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五月の立山。
残雪なんてものではありません。積雪10m近いのでは? あの日あの所で、この写真,誰がシャッター切ってくれたのかな???
大学4回生卒業にはほど遠く。
どこの大学も学園紛争の嵐。そんな嵐に眼もくれず、気分転換を思い、数々の山に登っていました。 |
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右私、左友人、あの年8月18日の写真かも。
かなり辛酸をなめ鍛えられました。私の人生で決して忘れる事の出来ない一枚の写真。これを契機に人生観180度転換。どんな事も跳ね除ける強靭な精神を持つことになった(?)、時です。有名な山男S氏と二人の山岳警備隊の名うての警察官殿との出会いがなければ、これを契機におおいに、グレていたでしょう。
ゲバ棒振り回し、火炎瓶をも投げてたかもしれず。御三名の山男殿に感謝。 |
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綺麗なお姉さんと。
私吸えもしないタバコ持ち、キザなポーズ。兎に角綺麗なお姉さんでした。誤解を招く写真ですが、この方とはただの友人です。私の危険な兆候(新宿のヒッピーの仲間入り)を察し、厳しく諌めてくれました。
Y.Nさん私を覚えてくれてるのでしょうか?偶然にでもこの写真見かけたら、連絡下さい。 |
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厚生省の小屋の屋根の上
山小屋を持ちたいと夢。それは学生崩れの空想だった。5月のある日、雪の頂上から遺体掘り起こし。小屋主の止めるのも聞かず、50kgの体重で60kg超のボッカを毎日こなし。ひだりのIさん、K大の医学部のHさんの遭難死の入電。思い切り泣いてましたね。「ヨッシャ、俺が行かねば!」又小屋主の止めるのを聞かず、山岳隊2警察官殿と懸命に雪渓を駆け登った。兎に角捻くれてました。 |
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| 一番右私
真ん中の小屋主のお嬢さん、あまりにも若い急逝。抜けるような白い肌。美人薄命。
この後から、大学休学への道のりは簡単だった。 |
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八ヶ岳山頂5月末
この山小屋の十数日。神様貴方の悪戯は酷過ぎます。こんな事で自分の人生変えられないと、心の中で叫びながら、山を駆け下り、ボッカの荷物担ぎ駆け登る。しかし大きく人生斜め90度転換。この頃から大学不登校の始まりだった様子。 |
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