12月12日早朝
娘から「破水した」と電話があった。
遡ること、今年の春二度目の妊娠を告げる知らせがあった。
酷いつわりで何度か家内が上京することになった。
二度目は私が家内を連れて上京。
「私が行っても娘と話する事は無いでしょう」と拒否。
強度のつわりなのに、、一回目(去年)流産を告げられた赤坂のS病院への入院希望を、酷い話で拒否された、都立H病院で入院をしている娘を見舞うことになった。
病院全体の雰囲気は看護士医師を含め感じは良かった。
しかし床の汚いのには驚いた。
殆んど掃除がされてない。
ケトン値4で結果的に入院もおろか受診も拒否するS病院より
「この病院で後も面倒を見てもらったら?」と言ったが娘は弱った体でか細い声で「出来たらS病院の方が良い」であった。
面会時間ギリギリまで、ゆっくりではあるが私は喋り通し。
「ラジオ放送を聞いているつもりで良いからね。お父さんの喋るのがうるさいと思ったら、『スイッチ切って』と言えば、止めるからね」と私は語りかけた。
こんなに長い時間や娘に話をすることは未だかってなかった。
その後も強度のつわりで毎日のように娘は不安にかられ電話をしてくる。
その時々に応じ返事をする家内。
「今度駄目になったら、あの娘、廃人になるかも」と普段の家内にはない心配をする毎日。
お腹の中の赤ちゃんの成長が確かになってきてからは「とにかく母子とも健康で出産がすめば」とだけになってきた。
予定より早く病院に行く事になった。
娘に体形からして安産型と簡単に思っていたが、ことはそうは行かなかった。
13日が満月。
「明日、産まれるよ」と簡単に言い放つ私。
それに反して家内は珍しく落ち着かない。
12日の夜から13日の朝まで家内は殆んど寝付けず心配のし通し。
お昼近くになって携帯にテレビ電話が入る。
が操作を間違え受信できず。
「産まれたんだわ!」と初めて安堵の表情の家内。
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